基本情報
- 所属
- 自治医科大学 さいたま医療センター外科系診療部 皮膚科 / 総合医学第2講座 学内教授
- 学位
- 博士(医学)(自治医科大学)
- 研究者番号
- 20332603
- J-GLOBAL ID
- 201401027421565493
- researchmap会員ID
- B000238813
- 外部リンク
研究分野
1経歴
7-
2025年4月 - 現在
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2015年11月 - 2023年3月
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2010年 - 2015年10月
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2006年 - 2010年
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2003年 - 2006年
学歴
1-
1993年 - 1999年
委員歴
5-
2025年7月 - 現在
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- 現在
-
- 現在
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- 現在
論文
83-
The British journal of dermatology 2023年4月5日
MISC
185-
日本皮膚科学会雑誌 = The Japanese journal of dermatology 123(13) 2878-2881 2013年12月
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Skin Cancer 27(3) 355-360 2013年87歳,男性。1ヵ月前に気付いた腹部の結節が増大してきたため,2009年11月に初診した。心窩部に母指頭大の皮下腫瘤を触知し,単純CTでは腹部脂肪織内に22mm大の筋肉と等吸収を示す腫瘤をみとめた。2ヵ月後に行ったMRIで34mm大に増大し,筋層への浸潤も疑われ,診断目的に生検を行った。病理組織はspindle cell sarcomaの像を呈し,免疫染色ではCD34,SMA,S100蛋白,AE1/AE3は陰性であった。滑膜肉腫を疑い,18番染色体のSS18遺伝子を標的とするbreak-apart probeを用いたFISH解析を行ったところ,分離像が確認され,滑膜肉腫と診断した。2010年3月全身麻酔下に局所切除を行った。局所再発はみられなかったが,術後1年9ヵ月に腰椎,腸骨への多発骨転移が出現した。
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日本皮膚科学会雑誌 = The Japanese journal of dermatology 122(13) 3620-3623 2012年12月
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JOURNAL OF DERMATOLOGY 39 37-38 2012年6月
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Skin Cancer 27(2) 179-185 2012年過去20年間に,当科で経験した乳房外Paget病82例について統計的に検討した。平均年齢71.4歳,男女比が1.8対1。初診時,病変が外陰部に存在していたのは70例(89.7%),腋窩に存在していたのは6例(7.7%),下腹部,肛囲ではそれぞれ2例(2.6%)であった。そのうち,3例がいわゆる多発例であった。リンパ節転移は8.5%にみられ,全てT2以上の症例であった。局所再発は4.1%で全てT1症例であった。5年生存率は,所属リンパ節転移のない群で100%,片側リンパ節転移群で65%,両側リンパ節転移群で0%であった。病期別5年生存率は,病期Ⅰ,Ⅱは100%,病期Ⅲでは75%,病期Ⅳでは0%であった。生存曲線は,病期分類別とN分類別とで類似しており,所属リンパ節転移の有無が予後に大きく影響していることが示された。
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日本皮膚科学会雑誌 121(13) 3188-3191 2011年12月
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日本皮膚科学会雑誌 121(13) 2872-2874 2011年12月
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Skin cancer : official organ of the Japanese Society for Skin Cancer = 皮膚悪性腫瘍研究会機関誌 25(3) 367-371 2011年2月28日76歳女性。2年前に外陰部の紅斑を自覚,半年前から急速に増大した。初診時,中央部に結節を伴う紅色局面が左大陰唇から肛門にかけて存在し,両側鼠径リンパ節を触知した。生検にてPaget細胞が真皮全層に浸潤していることを確認した。CT上,両側鼠径から大動脈周囲リンパ節までのリンパ節転移がみられ,stage IV(T4N2M1)と診断した。特殊染色にてHER2強陽性であったため,原発巣切除後,weekly docetaxel,trastuzumabによる化学療法を行った。7クール終了時点から8週後の評価でCRと判定した。経過中みられた副作用はいずれもgrade1の軽度のものであり,QOLを保ちながら,非常に奏効した。Trastuzumabとdocetaxelの併用療法は,HER2陽性乳房外Paget病において,少ない副作用と高い治療効果を併せ持った,非常に有用な治療法になり得ると考え報告する。
書籍等出版物
12担当経験のある科目(授業)
1-
皮膚科 (東京大学、虎の門病院、三楽病院、自治医科大学)
共同研究・競争的資金等の研究課題
1-
日本学術振興会 科学研究費助成事業 2004年 - 2006年